ダイキリやモヒートといったキューバ生まれのカクテル。
僕のお店では飲みやすさを優先していつもバカルディを使っています。
とはいえ玄人向けには同じキューバ産のハバナクラブが相応しいのかな。漠然とそう思ってました。
その思いこみが、まったくの勘違いだった。
バカルディ スペリオール
種別:ラム / スペイン系 / プエルトリコ
使用樽:アメリカンホワイトオーク(元バーボン樽)
アルコール度数:40%
価格:1,400円前後(700ml)
カクテルに最適なラム
バカルディの創業は1862年、キューバのサンティアゴ・デ・クーバ。
創業者のファクンド・バカルディ・マッソーがやったことは、ひとことで言えば「ラムを飲みやすくした」ことでした。
当時のカリブのラムは、荒っぽくて雑味が多いのが当たり前だったと言われています。
そこにファクンドは活性炭でのろ過を持ち込み、樽で寝かせ、雑味を削り落としていきました。
発酵の時間もわずか20〜30時間。
ふつうの蒸留酒よりずっと短く、香味成分が育つ前に止めてしまう。
このクセが無く、他の材料とよく馴染むラムが、のちにダイキリやモヒートといったカクテルのベースとして使われていくことになります。
僕は無心で飲めるストレートも結構好きなんですが、カクテルのベースに最適なラムです。
革命前のキューバは、全部バカルディだった
当時のキューバではバカルディがラム生産のシェア4割ほどを占めていました。
1898年にサンティアゴ郊外の鉱山で生まれたとされるダイキリは、最初からバカルディでつくられていました。
モヒートには、エル・ドラケという原型があったと言われています。
アグアルディエンテというサトウキビの荒い蒸留酒に、ライムとミントを合わせたもの。
それが、バカルディの登場によって取って代わられました。
「Mojito」という名前は1931〜32年、ハバナのSloppy Joe’s Barのメニュー「Bacardi Drinks」に初登場します。
キューバ・リブレにいたっては、バカルディ社自身が「うちのラムから始まった」と主張しています。
キューバ生まれのカクテルにはキューバ産のハバナクラブを、と漠然と考えていましたが、よくよく考えてみれば革命でキューバを追われる前のバカルディこそ当時のキューバ産ラムの筆頭でした。
酵母は、一匹残らず
1959年、キューバ革命。
翌1960年10月13日から14日にかけて、革命政府はキューバ国内の蒸溜所を一斉に接収します。
バカルディをはじめ、1934年にハバナクラブのブランドを立ち上げていたアレチャバラや、マツサレムなど、当時の主だったラム業者がすべて対象になりました。
蒸溜所も、工場も、倉庫も、すべて無償で取り上げられてしまいます。
バカルディ家は亡命し、革命以前から蒸溜所を持っていたプエルトリコとメキシコで生産を立て直すことになりました。
バカルディには、創業以来ずっと使い続けている自社の酵母があります。
1862年にファクンドが見つけたとされる菌株で、あの軽やかな味わいの正体はこの酵母だと言われています。
接収の際、バカルディはキューバ内のすべての酵母を殺菌して一匹も残しませんでした。
政府の手に渡らないように。
接収に向かった兵士たちが工場に着いたときには、生きた細胞は一つも残っていなかった——そう語り継がれています。
もっとも、記録が残っているわけではなく、本当かどうか定かではありません。
接収された蒸溜所で、いま何がつくられているか
キューバ政府が立ち上げた国営企業Cuba Ron社によって、接収された蒸溜所でラムがつくられるようになります。
1934年に元々のハバナクラブのブランドを立ち上げたラ・ビスカヤ蒸溜所も接収されます。
バカルディと違い、この蒸溜所を所有していたアレチャバラ家には再建できるだけの海外拠点も資金もありませんでした。
アレチャバラ家の多くはスペインやアメリカへ亡命しますが、一族の一員であり、顧問弁護士を務めていたハビエル・アレチャバラはキューバ政府に投獄されてしまいます。
1966年、法律関係を仕切っていた顧問弁護士が不在の間に、Cuba Ron社はアメリカ以外の80カ国で「ハバナクラブ」の商標を取得してしまいます。
こうして、現在アメリカ以外の国で販売されているのがCuba Ron社がつくるハバナクラブです。
アレチャバラ家から取り上げたブランドを掲げて、キューバを代表するラムとして展開しています。
さらに1973年には、アレチャバラ家が持っていたアメリカでの商標が失効します。
全てを奪われたアレチャバラ家には事業の実態がなく、商標を更新しようにも更新できませんでした。
その隙をつきCuba Ron社はアメリカでも商標を押さえてしまいます。
同じCuba Ron社は、旧バカルディの工場でも、いまなおラムをつくっています。
「サンティアゴ・デ・クーバ」というラムです。
土地も設備もバカルディのまま、しかし酵母は違います。
接収の間際にバカルディが酵母を残さない焦土作戦を行ったからです。
バカルディの穏やかな味に対して、こちらの方がスパイシーでハッキリした味わいです。
キューバに残ったのは、土地と蒸溜所。
島を出たのは、酵母という味の核心。
革命前のバカルディの味に近いのはどちらか、現在のプエルトリコ産のバカルディと言われています。
争いは、まだ終わっていない
蒸溜所もブランドも奪われたアレチャバラ家は、30年以上も困窮しますが、ただ泣き寝入りしたわけではありません。
1997年、ハバナクラブのレシピと「もし何か権利が残っているなら、それを全部」をバカルディに売却します。
アメリカの正式な商標は、まだキューバ側が握ったままでしたが、キューバはアメリカの禁輸措置により、アメリカ国内で売ることができません。
バカルディは「本家の血を引くのは自分たちだ」と押し切り、アメリカでハバナクラブを売り始めました。
こうしてアメリカでは、商標こそ持っているのに売れないCuba Ron社のハバナクラブと、権利はないが「本物」を受け継いだバカルディ社のハバナクラブという、いびつな対立が生まれます。
この後も、争いは一進一退です。
ブッシュ政権の頃にキューバ側の商標は一度失効し、オバマ政権では復活し、バイデン政権になると「バカルディ法」という通称までついた、キューバ側の没収商標を認めない法律もできました。
しかしその後のバカルディは、キューバ側の商標更新を違法だと訴えた別の裁判では負けています。
革命から60年以上経ったいまも、「本物はどれか」という問いは、まだ決着していません。
キューバに残ったのは、土地と蒸溜所。
島を出たのは、酵母と名前。
キューバ産カクテルをつくるにはやはりハバナクラブかと思っていましたが、バカルディこそ正統だったのかもしれません。
ちなみに、ダイキリで有名なバー、フロリディータでは、いまハバナクラブが使われています。
キューバではバカルディは手に入りませんから。
どちらでつくるダイキリも美味しいですし、どちらでつくってもキューバの歴史に沿っています。
僕はバカルディの方が好きなんですが、ホントはハバナクラブの方がいいのかな、なんて軽いジレンマを持ちながらつくっていました。
これからは自信を持って、バカルディのダイキリをつくっていきます。


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