34杯目!「サファリング・バスタード」〜前線から届いた、酒への発注〜

サファリングバスタード カクテル

戦場から、一通の電報が届きました。
「前線にカクテルを送ってくれ」——戦局を左右したとも語り継がれるバーテンダー、ジョー・シャロムとそのカクテル「サファリング・バスタード」を紹介します。


レシピ

サファリング・バスタード

  • ジン20ml
  • ブランデー20ml
  • フレッシュライムジュース15ml
  • シュガーシロップ1tsp
  • アンゴスチュラビターズ2dash
  • ジンジャーエール(辛口)適量

手法:シェーク
グラス:オールドファッションドグラス

ジンジャーエール以外をシェークしてグラスに注ぎ、ジンジャーエールで満たす。


薬学からバーテンダーへ

このカクテルを生んだのは、ジョー・シャロムというバーテンダーです。

1910年、エジプト生まれ。
フランスに渡って薬学を学び、実家の薬局を継ぐはずだった男でした。

スーダンで化学者となったシャロムは、同僚を楽しませるために化学の理屈でカクテルを作っていたと言われています。
薬学よりカクテルの世界に魅了されたのか、1938年、当時のカイロで最も格式のあるシェパーズ・ホテルの「ロングバー」のバーテンダーに転身しました。

「ロングバー」という名前、実はバーの長さのことではありません。
あまりに混雑していて、酒にありつくまでの待ち時間が長かったから、というのが名前の由来だそうです。


チャーチルも一目置いた男

第二次大戦下のカイロで、シェパーズのロングバーは特別な場所になっていました。
英軍将校や従軍記者たちが夜な夜な集まる社交場です。

チャーチルは首相として北アフリカ戦線の視察や連合国首脳会談のためにカイロを何度も訪れ、そのたびにこのバーに顔を出したと言われています。
カウンターの中には、いつもシャロムが立っていました。


カクテル誕生

戦時下のカイロでは、まともな酒が手に入りませんでした。
粗悪な酒で悪酔いする将校たちを見て、シャロムは薬学の知識を活かし、手に入る材料で「二日酔いの治療薬」をつくります。
ジン、キプロス産のブランデー、向かいの薬屋がつくるビターズ、ライム、そして怪しげなギリシャ商人が卸すジンジャーエール。
これがサファリング・バスタードの誕生と言われています。

「サファリング・バスタード」。
意味合いとしては「苦しむろくでなし」。
二日酔いで唸っている相手を指して、「苦痛に悶える哀れな野郎め」といったところでしょうか。
あまりに下品だと客から苦情が出たのか、「サファリング・バー・スチュワード(苦しむバー係)」の言い間違い、聞き間違いでした。
ということにしたみたいですが、これは後付けで、最初からバスタードだったと確認されています。

胃腸をスッキリさせるビターズとジンジャーで、ジンとブランデーを流し込む迎え酒ということでしょうか?
余計酷いことになりそうな気しかしませんが大丈夫なんでしょうか?


敵将も、味方の兵も

このバーの評判は、味方だけにとどまりませんでした。
敵将ロンメルまでもが「もうすぐシェパーズのスイートでシャンパンを飲む」と豪語していたなんて言われています。

ロングバーで長い長い行列待ちをしている兵士たちの間では「ロンメルが攻めてくるまでだって待とうじゃないか。どうせ奴もこの行列で足止めさ」というジョークが流行っていたそうです。
ロングバーの混雑ぶりは、それだけ有名だったということでしょう。

これだけ将校たちの間で有名な社交場だったからか、第二次エル・アラメインの戦いの準備中には、指揮官バーナード・モンゴメリー将軍がシェパーズを事実上の司令部代わりに使っていました。

モンゴメリーといえば、その慎重な用兵になぞらえた15:1の「モンゴメリー・マティーニ」に名を残す人物です。
もっとも本人は酒量も控えめで、ロングバーを賑わせていたのは第八軍の将校たちでした。

立入りを制限されていた植民地出身の兵士たちが「俺たちにもシャロムの酒を飲ませろ」と声を上げた、という話も残っています。
国籍も階級も、敵か味方かさえも関係なく、誰もが同じ一杯を求めていました。


前線へ、酒を届けろ

1942年、エル・アラメインの戦いの最中のことです。
ロングバーで飲み明かした第八軍の常連の将校たちが、明け方に前線へ招集されました。
そして戦場から、シャロム宛に助けを求める電報が届きます。

「サファリング・バスタードを送ってくれ。全員ひどい二日酔いだ」

シャロムはありったけの魔法瓶にカクテルを詰め、タクシーを捕まえて前線まで走らせました。
その量は4ガロンとも8ガロンとも言われています。

思わず「マジかよ」と突っ込みたくなる話です。
サファリング・バスタードには、冗談のような突飛なエピソードがいくつもついて回りますが、その中でも一番突飛なこの前線配達の話こそ、実は一番裏付けの堅い情報だったりします。

この話が広まると、「サファリング・バスタードが戦局を左右した」とまで語られるようになります。
前線に届けた後どうなったかは語られておらず、さすがにそれは話が大きすぎるだろう、と冷静な意見も多いです。
ただ少なくとも前線の兵士たちが、命がけの戦いの合間に一杯のカクテルを本気で求めたことだけは確かなようです。


一転、スパイ容疑

戦争が終わり、シャロムの評判はさらに広まりました。
ところが、その評判の質は少しずつ変わっていきます。

1950年代、エジプトの政治情勢が大きく揺れました。
要人にも軍関係者にも顔が利き、誰とでも親しく話せる。
そんな距離の近さが、今度は疑いの目で見られるようになります。
確かにバーテンダーという職業は色々な属性のお客様が酔ってこぼした「ここだけの話」を多く耳にするものです。
チャーチルをはじめ多くの要人をもてなしたシャロムは、漏らしたらいけないことの一つや二つ、どころか十も二十もあったと思います。
シャロムはスパイ容疑をかけられて身柄を拘束され、のちにナセル政権によってエジプトを追放されます。

ナセル政権下で外国人やユダヤ系住民への風当たりが強まる中、シャロムはエジプトを離れることになりました。
歓迎され続けた男が、追われる側に回った瞬間です。


渡り歩く後半生

エジプトを出たシャロムを拾ったのは、ホテル王コンラッド・ヒルトンでした。
カリブ海のカリベ・ヒルトン(プエルトリコ)でバーを任され、続いてハバナへ。
ところがここでもキューバ革命が起こり、シャロムはまた次の土地へ移ることになります。

ロンドン、ローマ、そしてニューヨーク。
ウォルドーフ・アストリアや、ツインタワー最上階のウィンドウズ・オン・ザ・ワールドまで、国際的なホテルバーを渡り歩きました。
行く先々で歓迎されながら、腰を落ち着ける場所はなかなか見つからなかったようです。


派生の三部作

ちなみに、サファリング・バスタードには、シャロムがマンハッタンにいた頃につくった派生カクテルがあります。
「サファリング・バスタードじゃ物足りない」と言った常連客につくった、ベースにバーボンを加えた「ダイイング・バスタード」、それでも物足りないと言われ、さらにラムまで加えた「デッド・バスタード」。
スピリッツが増えるごとに症状が重くなっていく、物騒な三部作です。


味わい

スピリッツが複数使われるカクテルには、どうしても「イロモノでは」という先入観を持ってしまいますが、これが、意外とすんなり美味しかったです。

スパイシーなジンジャーエールにビターズが加わることで、薬っぽさが際立って、これが結構クセになる味。
ブランデーがボディを保ち、そこにジンのジュニパーベリーが鼻に抜けて複雑味を足す。
二つのスピリッツが喧嘩せず、意外と高め合って良い仕事をしています。


戦場で酒を求められ、要人たちに一目置かれ、同じ理由でスパイ容疑をかけられた一生。
カウンターの中に立っていただけの男にしては、ずいぶん波乱に満ちた人生です。

彼がやってきたことは、どんな時でも誠実に一杯をお届けする、バーテンダーにとって当たり前のことでした。
たとえ届け先が前線だろうとも。

コメント

タイトルとURLをコピーしました